明治時代から愛され続ける飛騨伝統の「三嶋豆」 (2/4ページ)
明治時代から愛されている飛騨高山の三嶋豆(みしままめ)。 その歴史と、代々親しまれる魅力に迫ります!
大豆への並々ならぬこだわり
使用する大豆にも並々ならぬこだわりがあるようです。
日本の昔ながらの農業は、田んぼを2年、畑を2年というように約2年周期で田んぼと畑を繰り返しながらお米や野菜を生産してきたそう。
それによって、水を好む菌、嫌う菌を2年おきに退治することができるので、ひとつの菌が繁殖しすぎず土の養分のバランスが取れていたといいます。
しかし近年はその農業スタイルが崩れてきて、ずっと同じ作物を作り続けるスタイルも増えてきているとのこと。三嶋豆では、このようなことにも考慮して産地を選定しているそう。
さらにその中でも養分が多く悪い菌の少ない、初年度に採れた大豆を仕入れるという徹底ぶり。
大豆はタンパク質のほか、美肌効果が期待できて女性に嬉しい大豆イソフラボンも豊富!
お菓子を食べながら綺麗になれそうですね。
三嶋豆は母への思いやりから生まれた!
そんな三嶋豆の誕生は明治8年に遡ります。
いろいろな言い伝えがあるようですが、三嶋治兵衛により発明されたことから「三嶋豆」と名付けられたそう。ただ同じ頃、三嶋治兵衛のいとこ長瀬久兵衛も「錦豆」という名称で同じ豆を販売していて、どちらが先に売り出したのか、定かではないそうです。
治兵衛は、年を取り歯が弱くなってしまったお母さんになんとか煎り豆を食べさせてあげたいと試行錯誤。その結果、大豆を水に浸して柔らかくしてから煎り、砂糖をまぶして食べさせてあげることを思いついたといわれています。
大豆を一旦水に浸してから煎るというアイディアは、母親への思いやりから生まれたものなのですね。
麦芽糖や水飴などで素材を固める駄菓子が多かった当時の日本では、三嶋豆のように砂糖を使用しているお菓子は高級品だったそう。
店主の長瀬さんから三嶋豆の製法や歴史、大豆へのこだわりをお聞きし、飛騨高山の伝統、そして三嶋豆を大切にする想いが伝わってきました。