CA経験後、香港でプリザーブドフラワー講師の道へ~CAの転職&セカンドキャリア体験談vol.11~ (2/3ページ)
日系CAから外資系CAへ転職、そして海外でプリザーブドフラワー教室主宰をする私の、「いつも笑顔で」をモットーに今しかできないことを常に達成してきた経験をお伝えします。
泣きながらの就職活動
とにかく何か始めなければと、周りの「CAになるんだ!」という意気込みに負けそうになりながら、エアラインスクールにも通いました。
初めて受けたCA面接はエミレーツ航空。
ワクワクしながら面接会場に向かい、隣に座った方に「今日はどのようなことをするのですかね。」と話しかけたら、「は?何をするか知らないんですか!?」とものすごい怖い顔で返事をされてしまいました。
その方の手には英字新聞があり一生懸命読んでいました。
気迫に負けそうになりましたが、化粧室で笑顔の練習をして自分らしく行こう、と気分を切り替えました。
始めのグループディスカッションは15人くらいの大人数。
あまり覚えていませんが、始めの自己紹介以外何も発言できなかったことだけは覚えています。
それでも、何故か私とあと一人だけ次のステージに進めたのです。
このあとも何回かグループディスカッションと筆記試験を通過し、最終面接の通知を受け取ったときには疲れと喜びで泣きながら大阪の面接会場から東京に帰りました。
地元から離れて東京で一人暮らししていたのですが、大家のおばさんが大盛りの天丼を作って待っていてくれたことがとても嬉しかったです。
この時天丼を頬張りなから頭をよぎったのは、父に言われた「日本のことも知らずに外国へなんて行くな」という言葉。
日本の一流のサービス、おもてなしの作法も知らずに日本人乗務員として外資系のCAにはなれないと思いました。
結果的に、泣きながらエントリーシートを書いた全日本空輸株式会社(ANA)の客室乗務員職に無事就職できました。
転職の決断
優しく厳しく指導してくださった先輩、大切な同期に囲まれ、慕ってくれた後輩ができた頃、国内線で日本全国を乗務しました。
今でも香港に遊びに来てくれたり、日本に帰国時に会ってくれる先輩・後輩や同期に恵まれた環境でした。
それでも、外資系の航空会社で日本人CAとして乗務するという夢をまだ叶えていなかったことが心に引っかかっていました。
そして、両親からは反対されましたが、たまたま募集していたキャセイドラゴン航空(旧香港ドラゴン航空)に転職を決めました。
ドバイより香港の方が日本に近いかなという理由も少しあり、経済急上昇の中華圏の様子も知りたかったからです。
中国・香港の文化にもみくちゃにされても強く生きた外資系CA時代
香港のサービススタイルは日本とは全く違います。
日本にいた時のように丁寧にゆっくりサービスしていると、お客様からも香港人同僚からも「早くしなさい!!」と大きな声で言われてしまったり。
そのような環境でも、機内には一人仕事で東南アジアへ行くような日本人のお客様も搭乗されており、「日本人がいて良かった。」と言ってもらえることもありました。
また、定期便がある福岡のお客様には顔を覚えていただけて、毎回機内でお会いするのが楽しみでした。
同期も10人弱と少なかったので、家族のように香港生活を送りました。
日本よりもとても働きやすい会社環境で、福利厚生も充実していましたよ。