CA経験後、香港でプリザーブドフラワー講師の道へ~CAの転職&セカンドキャリア体験談vol.11~
日系CAから外資系CAへ転職、そして海外でプリザーブドフラワー教室主宰をする私の、「いつも笑顔で」をモットーに今しかできないことを常に達成してきた経験をお伝えします。
【第11回】 「CAの転職&セカンドキャリア体験談」
ここでは転職をお考えのあなたへ、「CAの転職&セカンドキャリア体験談」として生の声をお伝えして参ります。
CAの方もそうでない方も参考にしていただけたら幸いです。
第11回:井出知沙
航空会社:全日本空輸株式会社(2009年〜2011年)
国際線/国内線:国内線
航空会社:キャセイドラゴン航空(旧香港ドラゴン航空)(2011年〜2015年)
国際線/国内線:国際線 香港ベース
航空会社:プライベートジェットGV乗務 (2015年)
現在の職業職種:香港を拠点にプリザーブドフラワー教室主宰(Eardley Flower by Chisa)
CAになりたいと思ったきっかけ
中学2年生のとき、市の姉妹都市交流使節団の一員として米国カリフォルニア州オーシャンサイド市に一週間ホームステイしました。
初めての海外でほとんど英語力はなく、辞書を片手にホストファミリーとは指差し会話でやっとのことコミュニケーションをしましたが、この経験が私に大きな影響を与えることに。
アメリカにフライトしたノースウエスト航空に、当時は機内通訳の日本人が乗務していました。
中学生の私にはこの機内通訳の方がキラキラ輝いて見えたのです。
帰国後すぐに本屋に行って、エアステージや外国で働く為には、などという本を探しました。
ノースウエスト航空機内通訳の募集要項には「容姿端麗・英語と中国語が堪能」と書いてあったのが記憶に残っています。
その時から、CAになる為に、そしてホストファミリーと会話を楽しむには英語が話せなければダメだと思い、一生懸命英語の勉強を始めました。
大きな変化があった学生時代
高校生の時に、アメリカの高校に留学したいと両親に言うと、「日本のことも知らずに外国へなんて行くな。」と父に言われたのです。
父を見返す為か、自分の夢の為なのか、日本史・世界史、苦手な古文や物理、数学も幅広く一生懸命勉強しました。
大学生になると、帰国子女の英語力に及ばない私はTOEFLを何回も受けて、単位が交換できる留学制度の3名の枠に応募しました。
あなたの熱意に負けましたと教授から言われ、ついに一年間、米国カンザス州の大学に念願の海外留学をすることができたのです。
カンザス州はアメリカ人も驚く田舎町で、その甲斐あり私の英語力は驚くほど伸びました。
アメリカの空港は広大で、飛行機がひっきりなしに飛んでいます。
パイロットやCAを見て、中学生のときに憧れた機内通訳の夢を叶えたいと強く思い、日本帰国後はすぐに就職活動に取り組みました。
CAになる人が多く在籍していた成田エクスプレスの車内販売のアルバイトもしていました。
この時の経験も就職活動中のアピールポイントに活かすことができました。
ちなみに、このアルバイトで出会った同僚と今でも親友で、彼女も外資系CAになるという夢を叶えましたよ。